「鹿島神社由来記と部落の建設」
鹿島様(おかしまさま)は昔から昭和年代の終わり頃まで、懐かしい呼び名で部落民の鎮守様として崇め尊敬をうけてこられた神様です。
傅説によれば、根新田部落は砂場薬師堂西側堤防内川の中央部分に数戸の小部落が点在していたそうです。
度重なる鬼怒川の大氾濫の為、定住することも出来ず、今より313年前、貞亭元年より元禄12年頃迄に戸数10戸が移住して小部落が出来たようです。
当時先達の郷士、廣瀬儀右衛門氏等は新しく永住地と定めた新田に根を付けて根新田と命名したと傅えられている。
後に鹿島神社様に部落の安泰を祈願し御神徳を奉持、此の地に祠を創建し部落民の無事息災と繁栄を願い奉ったと伝えられている。
時は流れ、当町内子供達の神輿出車庫建設に際し、有志集まりて神社創建の議決を見る。
平成元年11月13日の良き日を選び、町民心新たにして遵宮し奉まつる。御祭神は武高想大命を祭る文武両道に優れ学問の神様とも言われてきた。
先に書いた移住者は次の方です。
廣瀬儀右衛門、高田権右衛門、廣瀬五右衛門、宮川与右門
落合長右衛門、須藤小兵衛、古矢重左衛門、古矢新兵衛
宮川八右衛門、(別当は雲仙寺)
平成八年十二月吉日
第四代根新田区長 西尾定次郎氏記、原文のまま
(同文は公民館敷地内に碑として設置されています)